すれ違い、純情指数XXX!
1.
(……まただ)
いつの頃からだっただろうか、こんな風になってしまったのは。
少なくとも、自分が狂いだしたのはきっとヤツに惹かれてしまったその瞬間からだったのだろうけれど。
「だから、何でお前がそこに座るんだよ」
春は桃だった桜も緑の葉をつけ始めた初夏、並盛中。昼休み。屋上。
いつものように、いつの間にか決まっていた昼食の指定ポジションにやってきた山本は、早速獄寺にドスの聞いた声で訊ねられていた。否それは、尋ねるというよりは叱咤に近い。
「あの…獄寺くん? 別に右腕だからって四六時中オレの右側にいなきゃいけないわけでもないんだよ? …ね? だから落ち着いて!」
獄寺が指した「そこ」というのは、彼が敬愛して止まない十代目こと、沢田綱吉の右隣だ。普段からことあるごとに「十代目の右腕に!」と触れ回っている獄寺だから、きっと理由はそんなところだろうと思ったツナが、まったく意味がわからなくて何も言い返せない山本に助け舟を出した。もし意味を理解していたとしても、山本は言い返すことなくさらりと席を譲ってしまいそうだが。
しかし、どうやらツナの見解は外れてしまっていたらしい。
「十代目、とうとうオレを右腕と認めてくださったんですか…!」
「いや、そういうことじゃなくてね、えーっと……」
墓穴だ。
思わず口から漏れてしまっていたが、ツナとしてはまったくもってその気はない。右腕だ何だのの前に、まずマフィアのボスになる気自体がないのだ、と、とてもではないが今の獄寺に伝える勇気はなかった。
ここはとりあえず、ケンカを売られている様子の、獄寺と「友達」を超えた関係を結ぶ男を信頼して傍観に移るしかないと、ツナは長い経験より判断する。
「まー獄寺、落ち着けって。そんなにツナの隣がいいなら代わってやるから」
ニコニコと相変わらずの笑顔を浮かべて獄寺の肩を叩く山本に、そうだその意気だ山本! と心の中でエールを送りながら、ツナは早くこの場から離れたくて仕方なくなっていた。
なぜなら、次の獄寺の行動で、「山本がそこに座ってはいけなかった理由」がわかってしまったからである。
あぁもう何でもっと早くに気付いて逃げ出していなかったんだろうしかも何気におれ墓穴掘ってない? と自分自身に絶望しながらも、こうなってはもう後の祭りだと、ツナは黙って結末を見守ることにした。なるべく関わらないようにと、細心の注意を払いつつ。
「オラ山本、もうちょっとそっち行け」
ツナの横から山本をどけて、そのまま獄寺は山本のいた位置に腰を下ろす。要するに、彼はツナと山本の間に座り込んだのだ。しかも、ここに腰を下ろした理由が「十代目の右側に」でないとしたら、理由はひとつしか考えられない。理解してさらに、ツナはこの場から逃げ出したくなるという当然の欲求を抑えることが出来なくなってきていた。
獄寺と山本が、いわゆる「そういう関係」になったのは、今からそう昔の話ではない。と言っても、「そういう関係」に踏み切るまでも、お互いにスキだスキだとオーラを発していたのだから、ずっとそれを見続けてきたツナにとっては大きな変わりはなかったのだが。
付き合いだした翌日、獄寺が嬉々としてその事実を伝えてきたときにも、「ああやっとくっついたんだ」と言う反応を返してしまったほどだ。
しかし、人前で少々――と言うか、かなり――濃厚なスキンシップを取られてしまうとさすがに戸惑うし、何より見ていて楽しいものではない。ただでさえ恋人のいない人間にとってバカップルを目の当たりにするのは腸が煮えくり返るくらい腹の立つことだと言うのに、その対象が男同士のホモカップルだなんて、あまりにも複雑すぎる。
何が、と言えば、ツナやそのクラスメイトなど、イチャつきっぷりを目の前で披露されている不確定多数の人間たちの心境が、である。
人前でこれだけオープンに触れ合っておいて二人が「カップル」と言う関係だと言うことを勘ぐる輩がいないのは、異文化のコミュニケーションなのだと言う誤解どうこう以前に、それぞれの心の中でこんな葛藤があった結果なのかもしれない。確かに認めたくない事実だろうと思う。けれど、ツナに言わせればまだまだクラスメイトたちはうらやましい部類の人間だ。
だって相手は親友。そしてもしかしたら未来の部下(できればそれだけは御免被りたい)。ある意味では一生涯付き合っていかなくてはならない。一生、このポジションで。
考えただけで己の未来に絶望せずにはいられないツナである。
「よくわかんねーけど、獄寺はツナの右隣がいいのな? じゃあオレ、今度から左側に座ることにするから」
いや違う、そういうことじゃなくて、獄寺くんが言いたいのはつまりね、と入っていこうとしたところで、獄寺の手がぽんと山本の頭を窘めるように叩いた。 ――と言うか、撫でた、というか。
獄寺の気性から言って、この触れるような窘め方は、暑苦しい言い方で言えば「愛ゆえ」なのだろう。
自分で考えてしまった表現に、思わず摂取してもいない砂糖を吐き出しそうになりながら、ツナはなるべく二人の方を振り向くまいとして弁当に意識を集中させていた。
「なに言ってんだこのバカ。お前はここにいりゃあいいんだよ。……つか、むしろここにいろ」
この一言によって少し前のツナの予想が肯定されてしまった。
要するに獄寺は、山本の隣に座りたかったのだ。もちろん先ほどまでの状態でも山本の右隣は空いていたのだが、その場所で満足することが出来なかったのはもちろん、敬愛する十代目をもしもの事態から護らなければならない、という意思があったからだろう。要は、山本の隣に座りたい、でもツナの隣を空けることは出来ない――という獄寺の望みをすべて満たすポジションが、ここしかなかったということなのである。
恐ろしく嬉しくない正解だが、このまま普通に昼食を食べだしてくれるのならば何も文句は言わない。……だからお願い、早くご飯にしよう。
そんなツナの切な願いは、脆く儚いものだった。
「そーなのか? よくわかんねーけど、獄寺の隣にいていいなら、何でもいーのな」
「……………」
口元まで運ばれていた獄寺の本日の昼食であるメロンパンが、音もなくぐしゃりと握りつぶされた。
ああ、なんでこう、山本はいつも一言余計なの。…いや、本人たちにしてみれば余計どころかなんていうか天にも召される勢いで嬉しい一言なんだろうけど。っていうかどうしよう、いますぐこの場を離れないと!
ニカッと歯を見せて笑う山本に、文句なのか助けを求めているのかわからない視線を送ったツナは、今獄寺が考えていることを言ってみろといわれたら一言一句違えずに述べられる自信があった。この類のテストを出されたら百点をとれる自信があるのに――と思ってみて、やっぱりそんなテストを出されたらもとより受ける気自体が消失してしまうだろうと考え直す。人のノロケを代弁するテストなど願い下げだ。
「わっ、獄寺、何やってんだ? せっかくの昼飯握りつぶしちまって……あー、勿体ねーの。こんなところ親父が見たら、『食べ物粗末にすんなー!』って包丁振り上げてきそうなのな」
何やってるも何も、そもそも原因が自分だと言うことにそろそろ気付いてよ山本。……っていうか、なにナチュラルに怖いこと言ってんの!?
子供の頃はよく叱られたなー、なんて続けて呟いている山本に、「どんなバイオレンスな親子だよ!」とこれまた心の中で突っ込みを入れつつ、ツナは必死に気付かないフリをしたまま弁当を突く。せっかくの昼食が天に召されてしまったあたりは同情するが、恐らく獄寺はこれを「不幸」だと感じていないのだろうことはわかっていた。
「………山本」
ツナの予想は、またしても獄寺の声音によって正解を告げられる。間違いでいいからとりあえずオレをここから逃がして、と切なる願いを、ツナは卵焼きと一緒に咀嚼した。
「ん? 何、ごくで――んっ」
予想は出来ていた。出来ていた、が、実際にそれが現実のものとなってみるとその衝撃は想像を絶するものだった。
血の気の多い獄寺がこんな風に突然盛り出すのは珍しいことではなく、慣れたといえば慣れた。だが、やっぱりなんて言うか、望んで見たいものではないのだ。かけがえのない親友たちに幸せになってほしいとは思うが、その結果がこういう形だと言われると、やはり複雑な心境を隠せないツナである。せめてこう、情緒みたいなものを欠片ほどでも持ち合わせてくれれば知らぬふりをして応援だってできるのに、何度考えたとも知れないささやかな願いをこっそりと零す。
ふと、こんな現場を誰かに見られたら、さすがに「異文化コミュニケーション」なんていう言い訳は通用しないだろうなぁとしみじみ考えたところで、そんな最悪な事態は起こってしまうものだ。
がちゃりと、扉のノブを捻る音がして、ツナはさぁっと身体中から血の気を退かせた。
屋上にひとつしかない扉は、フェンスと平行の場所に位置する。確定的なポジションとして、三人がいつも昼食をとるときはフェンスを背にした状態だ。
つまり、扉とは向き合う体勢になっているわけで。
正面では、リアルタイムに濃厚な口付けが繰り広げられているわけで。
その口付けがどのくらい濃厚なのかと言えば、必死で意識を逸らしているツナの耳にくちゅっと言う聞きたくもないような効果音と鼻にかかった吐息が漏れ聞こえるくらいだ。――と、言うか。
(真昼間から、屋上なんかで、しかも人前でっ! なんでそんなディープなキスしちゃうかな!!)
普通では考えられないことだが、彼らに常識が通用しないなんてことは重々承知している。なんたって相手は、身体のいたるところにダイナマイトを隠し持つ人間爆撃機と、樹齢千年の樹木にも負けるとも劣らないレベルの天然記念物なのだ。
とりあえず、こんな光景を他人に見られでもしたら大変だ。例え本人たちが気にしなかったとしても、見てしまった方はあまりのインパクトに忘れることが出来なくなってしまうだろう。もし運良く忘れることが出来たとしても、その前後の記憶までもが犠牲になる可能性もある。
っていうか気付いてよ獄寺くん。そして中断して! と心中で叫んではみるが、ツナの叫びが聞こえていようがいまいが、山本との甘美なキスを中断することと二人の関係が学校内に露見することとを天秤にかけたとき、もとより関係を隠そうとしていない獄寺が選ぶ選択肢は決まりきっていた。
というか、この状態で獄寺に助けを求めるのはお門違いと言うものだ。なんと言っても、悩みの種が彼なのだから。
とりあえずどうしよう――と考えるよりも先に、身体は動いていた。
「おーい、ツナいるか――っと、うわ!」
とても「ダメツナ」の異名を持つとは思えない速さで扉の方へと駆けて行くと、ツナはどうやら自分を呼びに来たらしいクラスメイトの視界を遮る。その形相はまさに、「死ぬ気」という言葉のよく似合うものだった。
扉がひとつと言うことは、要するに、裏を返せばその扉さえ死守してしまえば何も問題はないと言うことなのである。
我ながらあの短時間でよく考えた、と半ば自画自賛しながら、ツナはクラスメイトをなるべく二人から遠ざけるようにと、校舎内へと続く階段の踊り場まで下りて話を聞くことにした。
(……って言うか、なんであの二人の問題なのにおれのほうが疲れてるんだろ……)
むしろああだこうだと焦りまくっているのは自分だけだと言うことに、ツナは気付かないふりを決め込んだ。