ああこの虚無感を、何にぶつけたらいい?
そりゃあまあ、言ってしまえば一指導者と一生徒。関係はそれ以上でも以下でもなく。
おまけにあの人は将棋も弱いし(教えてくれたのはあの人なのに)、やめろというのに人の前でタバコを吹かしてくるし(副流煙ってのを知らないのかまったく)、見た目と言ったら熊そのものだし、何も考えてなさそうな顔して、俺より広い世界を見てるし、知ってるし。
つまり、ひとことで言えば食えない大人だったわけで。
そう、いつだって大人の皮をかぶって俺を子供扱いしてくる、それはそれは腹の立つ人だった。
『……アスマ』
『…………』
『…アスマ』
『…………』
『アスマ』
何度も名前を呼んで。それでも返事は、返ってこなくて。臑を蹴りあげる前にヤツが考えていた事なんて、今になっては知る由もない。涙目で「わりーわりー」と謝る一瞬前まで、ヤツの頭を占拠していたこと。それがまた安易に予想がついてしまうから、やっぱあの人はダメな大人だったと思うわけだけど。
俺だって一応、知ってんだぜ。
あんたはいつだって、考えてた。
それがたとえ俺と将棋を打ってるときだって、命がけの任務をこなしてるときだって。いつだって、一様に。
里の仲間を、班の仲間を護るのが猿飛一族としての役割だなんて、よく言ったもんだ。
『……なあ』
『ん?』
『うまいの、ソレ』
『吸ってみるか?』
『……いい。肺炎がうつる』
『はは、失礼なヤツだなお前』
『事実だろ。結末わかってんのにやめねー意味がわかんねー』
『…お前にはまだ、わかんねー味だよ』
洒落たこと言ってんじゃねえよ、バカ。
言い返した言葉さえ、あんたの耳には届いていなかったのか。
『お前は頭が回る』
『………、』
『だからいつも、参謀でいろ。仲間を遣うんじゃねえ、生かすポジションだ』
『………、』
『お似合いだぜ、シカマル』
名前を呼ばれるのが、イヤだったわけじゃない。あの人の声だって、嫌いじゃない。…ただ、どうしようもなく、痛かっただけだ。どこがなのか、そんなこともわからない。
『今度の任務は紅んとこの班と合同だ。リーダー兼参謀はおまえで行くからな、シカマル』
そして、とうとう。
温度が。
温度が違うのだと、気づいてしまった。
「くれない」と呼ぶ声、「しかまる」と口ずさむくちびる。同じなのに同じじゃないなんて、気づかせてくれなくてもいいのに。最後の最後で、アンタはホント、残酷な大人だ。最低で最悪な男だ。
だけどちゃんと、わかってたんだぜ。
「アンタは最高の男だよ」
わかってる。
アンタが宝だといったこれからの里を担う人材たちも、アンタが愛した人間も、アンタを愛した人間も、全員、俺が、生かすから。
だから、さ。
そんな力ない顔で、笑うなよ。
任せとけって、言ってんだろ。
最期くらい、信用しやがれ、馬鹿野郎。
「……シカマル」
「…………っ」
卑怯者、卑怯者。
どうして、最期に、そんな風に呼んだりするんだ。別に未練があるわけじゃない、俺だって忍の端くれなんだ、こういう事態を免れることはできないってことくらい、ちゃんと理解してる。納得だって、してる。なのにアンタはいつまで、俺を、そんな風に。
「お前はもう、立派な忍だ」
どうして。
どうして、最期に。
どれだけねだっても決して言ってくれなかったようなこと、言ったりするんだよ。馬鹿じゃないのか。だから嫌いだって言うんだ、畜生、ちくしょう。
こんなときだけ大人扱いだなんて、ずるい。卑怯者。そんなことを言われたら、あふれ出しそうな感情の渦も、爆発を恐れて引きこもってしまう。
全部、わかっててなお、アンタは。
「…卑怯者…っ」
「………はは、悪ぃ、」
「…っこの、大熊…!」
「…そのとーり」
別に、愛だとかそういう感情では、ないんだ。
ヤツが紅先生を想ってたような感情とか、紅先生がヤツを想ってた感情とかとは、きっと。
だけど。
「頼んだぞ、シカマル」
「……っ、アス マ…!」
ほろ苦いフレーバーが、のどの奥にせりあがってくる。息が詰まって、あのとき出し切れなかった感情の渦が、堰を切ってあふれ出した。ああ、大洪水だ。この責任を、あの熊はどう取ってくれるつもりなのか。
日が傾いて、影が伸びた。
追うようにして、タバコの煙が歪な螺旋を描く。
「…覚えてろよ、この野郎」
それでも確かに、
アンタは俺の、
大切な人、だったんだ。
/07.05
アス+シカ…うーん、アス紅+シカか。
恋人とかじゃなくて家族でもなくて、名前の付けようもない、大切な人。