吐く息が白く染まる二月初旬の某日、午後九時過ぎ。年末年始辺りに比べれば日も長くなってきたかと思いきや、六時を過ぎればもう日はとっぷりと沈み、この時間になれば昼間の太陽の名残などどこにもありはしない。心もとない街頭の下てらてらと光る黒いコンクリートが、いやにその肌寒さを増徴させているような気がする。それでなくとも言葉通り朝から晩まで野球漬けの日々だ、ようやく練習が終わり今日も長かった一日に終止符を打てるというのだから今すぐ帰宅したい。そりゃあ、疲れた身体に鞭打ってサドルに腰掛けるのを我慢するほどの元気はないが。それでも自転車に乗ってきーこきーことペダルを踏んでいれば、自らの足を使って地道にコンクリートを踏みしめるよりは格段に早く、楽に家路を終えられるはずだった。だというのに。
「なんでおれたちこんな非合理的なことしてんの」
「あ?」
「あ?じゃなくて、」
「それにしてもさっみーなー」
「おれの話聞く気ないだろおまえ」
ふたつの自転車が、カラカラと音を立てる。大きな荷物をかごに積んだ自転車を引きながら、ふたりは冷たいコンクリートの上をとぼとぼと歩いていた。なぜ、と問われれば明白な理由を返すことは不可能だが、栄口曰く、「みんなと別れてしばらく経ってから、阿部が「ちょっと歩かねえ?」なんて言いながら自転車降りちゃったから仕方なく付き合ってんだけど、意味はまったくわかんない」。
普段車輪の上に乗って颯爽とかけている道のりが、今日はやけにゆっくりと進んでいく。疲れた身体に、さらに自転車という大荷物も増え、精神的苦痛は並を越えていた。栄口にいたっては、そろそろレッドゾーンに突入しようとしている。原因はすべて、同じように栄口の左隣を歩く黒髪のツンツン頭にあった。
「なー、あべー」
「んー」
「歩くの疲れねー?チャリ乗ろうよ」
「あー」
「……だから、聞けっつうのに」
普段は仏の栄口で通っている自分にだって、限界はある。それを自覚しているからこそ、自分以上に臨界点突破率の高い相手をなるべく刺激しないようになるべく遜って提案してやっているというのに、相手にまったくもって改善の兆候は見られない。それどころか、この作戦は今の自分の機嫌を維持するにもまったく逆効果だ。
おれはもう十分こいつのわがままに付き合ったよ。っていうかそもそも別に付き合う必要もなかったんじゃないか、だって意味わかんないし。阿部の身体がアイアンボディーだかなんだか知らないけどとりあえずおれは疲れを知ってるごくごく普通の身体なわけで、明日も朝から晩まで部活だし身体休めなきゃなんないし、諸々の理由で、やむを得ず。
との理由を並べてて、栄口はきゅっと音を立ててブレーキをかけると、ひょいとサドルに跨った。立てていた足をたたんで体重を自分以外のものに預けるだけで、ずいぶんと楽だ。久々に自転車の偉大さを思い知りました。感謝。
「じゃ、阿部、おれ帰るから」
「おー……は?」
「また明日なー」
「ちょ、バカ、待て栄口っ!」
「え、わ、ちょ、…!」
ハンドルから離した片手を振りながらペダルを漕ぎ始めた瞬間、ぐんと車体が動かなくなったと思ったら少し後ろでがっしゃーんとすごい音がして、安定をなくした自転車がぐらりと揺らいだ。無様に横転しそうになるのを右足で踏ん張った栄口が後ろを振り返れば、自分の自転車を足元に転がしたまま栄口の自転車の荷台を掴む阿部が目に入る。しかも、転げた自転車が足の上に落下してきたのか、左手で右足の甲を庇っていた。
「………何してんの」
「…おまえこそ、何してんだよ」
「だからおれはそろそろ帰ろうと」
「すんな」
おっまえさっきまで散々おれのことシカトしといていざ帰るぞってなったら急に手のひら返してそれかい、っていうかまだ手のひら正反対に返すならいいもののなんでいつもそう偉そうなんだ、何か?おまえは神か?
沸々と湧き上がってくる文句をどれから口にしたらいいのかと迷っている間に「上見てみろよ」と促された声に素直に従ってしまい、栄口はもう少しで出てくるところだった文句たちを再び飲み込んでしまった。
建物と木々の密集地の空けた隙間から、満天の星空が見える。まだ冷たい空気に浮かんだ瞬きは、一瞬、栄口に呼吸を忘れさせた。
「綺麗だろ」
「…う、ん……でも、」
「でも?」
「いや…、なんか、星空とかそーゆーロマンチックなの、阿部に似合わねーとか思ったりして」
「……アレか?おれはケンカ売られてんのか?」
「いやいやいやメッソーもない!」
にゃろ、栄口のくせに!最低限の常識の範疇で声を落として怒鳴りながら掴んだ荷台をぐらぐらと揺らしてくる阿部に、危ないって!と反論しながら栄口はサドルから降りる。悪かったって、冗談冗談、と両手をあわせて見せれば、ようやく納得したのか阿部は倒れたまま放置されていた自分の自転車を起こして栄口の横に並んだ。お互いに自転車を外側で押しながら、車が通らないのをいいことに道の真ん中まではみ出して空を見上げる。
「阿部ー、おまえ星座わかるー?」
「……あの三ツ星がオリオン」
「そのくらいおれにもわかるって、他は?」
「知らね」
「だろうと思った」
「…………」
カラカラと車輪の回る音がする。薄い街灯もない道は真っ暗で、コンクリートの色さえわからない。ただ、そのほうが開けた空は仰ぎやすかった。
「栄口、」
「ん?なに?」
「……寒くね?」
「何だかんだ言ってどんだけ歩いてきたと思ってんの。もうすっかり暑いくらいだけ、ん、む」
くぐもった声の変わりに車輪の音が消えて、今度は栄口の支えていた自転車が横転する音が盛大に響いた。なんとか足の上に落下するという事態は回避したものの、硬直したまま動けなくなって、なかなか自転車を起こすことが出来ない。栄口のほうから動き出すきっかけを掴めずにいる。と、少しずつ阿部の顔が小さくなっていって、ようやく視界に顔全体が入りきったところで、にやりと口端を上げて笑われた。かっと顔が熱くなる。光源がなくて助かった。
「あ、べ、…おまえ!」
「防寒防寒」
「だからおれは別に寒くないって…っ」
「おれは寒かったからな。体温は分け合うもんだぜ」
「それは瞑想の話だろっ、あほべ!」
ははは、と不自然なほど朗らかに笑ってずんずんと前に歩いていく阿部の後姿を見送りながら、自転車を起こす。自分より先に街灯の明かりの下に入り込んだ相手の耳が寒さのせいにしては赤くなりすぎているのを見て、悪い気はしない。栄口はカラカラとさっきまでよりも些か大きな音を立てて小走りで阿部の隣まで追いつくと、はい、と左手を差し出した。手袋も何もしていない手のひらは、しかし血色もよいままだ。ぱちくりとたれ目を瞬かせる阿部に、栄口はにやりと口端を持ち上げた。
「しょうがないから、体温分けてあげるよ」
カラカラと、車輪が鳴く。
「そりゃドーモ」
広かった空はだいぶ狭まってしまったけれど、ふたりがサドルに跨るのはまだもうしばらく後の話だ。
まったくもって非合理的なおれとおまえの関係!
(でもこのあったかさは大変合理的なのであった)
/08.02
コンデンサのミギさまのアベサカちゅう企画に乗っからせていただきました^^
すてきかくありがとうございました\(^0^)/
阿>栄で阿<栄なアベサカが好きです。とにかくアベサカが好きです。
ネタが浮かばなすぎて中身のない話ですいませ…!
誰かかわいい栄口くんの書き方を教えてください^^
大好きなのに書けないこのジレンマ…!