昔から、この河原は俺のいちばんの練習場だ。
人通りの多い橋の近くじゃなくて、こっそりと流れる細い川のほとりは、とても過ごしやすい。
辺りに人の声はなく、時折ばさばさと音を響かせる雀の羽ばたきが、耳朶に心地よかった。
「…93、94…」
ぶんっ、ぶんっ、というスイングの音が響く。
たれてきた汗を拭うために、100の掛け声と同時に俺はひとまずバットを下ろした。
首にかけたタオルで汗を拭って、さっきコンビニで購入したばかりのドリンクを飲む。
冷たいものが喉を通っていく感触が、心地よかった。
「……ふー…」
ばたんと寝転んで、空を仰ぐ。
ゆっくりと流れていく雲が、平和を感じさせた。
(…へいわ)
そんなこと、しみじみと考えたこともなかった。
戦争とか、テロだとかいうニュースを見れば、「ひどい」とか「かわいそう」なんて人並みの感想くらい抱きはするけれど、どれだけ偽善者ぶっても所詮それは他人事で、平和な世界を、なんて訴えられたって、なんとなく賛成するだけ、みたいな。そんな認識。
だけど、やっぱり、今まで俺の生きてきた世界は「平和」だったのだと、つい最近思い知った。
簡単に人が傷ついて、簡単に人が死んで。
そんなことがリアルだったなんてことは、初めて知った。
死にたいくらい辛かった。だけど、死ねないくらい大切だった。
そんな、簡単だけどなかなか気付けない事実を、身をもって知らされた。
「…………」
今だって、目を瞑れば蘇る。
激しい戦火。傷ついた仲間。視界を朱に染め上げたライバルの血。
だけど目を開ければ、それを一瞬で浄化するほどの青空が広がる。
ああ、終わったんだなぁと。
ぽそりと思った。
あれは夢なんかじゃない。そんなことはわかってる。
だけど、もう遠い昔のことのようだ。日常は戻ってきた。証拠に、昨日はみんな、笑っていた。
また、こんな日常が続けばいいと、思わず願ってしまうほどに。
「……あと300回っ」
よっと腹筋に力を込めて立ち上がる。
口にはドリンクのチューブを加えたままバットを脇に構えて、背後に感じた気配に身体を硬くした。
「……?」
慌てて振り返ってみると、拍子抜けするほどに、そこにいたのは見知った顔で。
「ごくでら…?」
呼ぶと、仰々しくスーツを着込んだクラスメートは、はっとしたように顔を上げた。
なんだろう、この違和感は。
何が違うのかは分からない。けれど、確実に何かが違う。
いぶかしむように眉根を寄せると、獄寺はひゅっと息を吸った。
「やま…もと…」
心なしか、いつもよりも声が低い。
と思うのと同時に気付く。…見下ろされてる?
「アレ?獄寺、背ぇ高くなった?」
返答はなく、切羽詰ったような表情の獄寺に、頬を触られた。
外はこんなに温かいのに、その手は、冷たい。
ぎゅっと唇をかみ締めて見下ろしてくるその顔は、今にも泣き出してしまいそうだと、思った。
頬に触れた手から伝染する、感情が。わからないけど、ただただ、胸を締め付ける。
苦しくて、たまらなかった。
目頭が熱くなった。
「ごくでら…」
いろいろ聞きたいことはあるのに、うまくくちびるが動かない。何から尋ねていいかわからない。何を尋ねたいのかわからない。
「…どうした?」
それはこっちのセリフだというのに。
ああ、もういいや、このまま身を任せてしまおう。
「何でも、ない」
「………」
やまもと、ともう一度動くくちびるに、視線が引きつけられる。
きゅうっとさらに心臓の締め付けが強くなって、これ以上悪化したら死んでしまうのではないだろうかと思った。
これは、誰の痛み?
「……ごめん」
そう、降ってきた声をくちびるで判断することは出来なかった。
気付いたときにはもう獄寺の顔は見えなくて、耳元でいつもより低い声が響いただけで。
腹の奥に、大きな鉄球が落ちてきた。
「獄寺…?」
「ごめん。お前のせいじゃ、ないから」
ぎゅっと身体を拘束されて初めて、自分が獄寺に抱きしめられているのだと悟る。
不思議と、違和感は感じなかった。
ただ、たしかに「やまもと」と呼ばれているのに、なぜか、自分だけが蚊帳の外に追いやられているような寂しさが襲う。
(ねえ、いったい)
いったい誰に、謝っているの。
こんなに近くにいるのに、触れ合っているのに、アンタの中には誰がいるの。
それは、俺じゃないの。
「大丈夫だよ、獄寺」
そう、大丈夫。
だから、ねえ、泣かないでよ。
馬鹿みたいに「大丈夫」と繰り返しながら彼の背中を擦ることしかできない自分をああ哀れだと思いながら、つきんつきんと胸が痛む理由を、俺は見つけあぐねていた。
(きっとまだ、気付くには早い)
/07.04
これまた本誌の影響で爆走中です。(独走
獄寺(24)は、心身ともにとてもカッコよくなってると思います(希望
山もも思わずたじたじしちゃうといいよ(*´ω`*)