ざくりと、肉を断つ感触。飛び散る血飛沫。上がる断末魔。湧き上がる感情。
嗚呼、何処へ。何処へいけばいい。
「…やまもと」
突然呼びかけられて肩が揺れる。こんな真っ黒な塊を俺だと判断した、ああやっぱりあんたは目がいい。目にかかるアッシュグレイの長い髪をかきあげて、呟く。糸を紡ぐような繊細な作業が、嫌いだという割には得意なあんた。すげーよな、と軽口を叩く余裕も今はなく。
握りしめた刀の柄が、ぬるりと滑った。生暖かい感触が手のひらを包んで、ゆっくりと蘇る、残像。大量の真っ赤な飛沫。視界が赤黒く、染まる。青空を見ていた瞳はもう、ありはしない。
あんたは平気なのか。こんな世界で、こんな空気で、こんな視界で。なにを吸って、なにを見て生きればいいのか、わからない、知っているのなら教えてくれ。
あんたは、望んでいたのか。自ら望んでこんな世界を、造り上げているのか。
「 」
寒い寒い寒い。
体中の熱を奪って唇が乾く。声はかすれた吐息となって、遠くの断末魔にかき消された。
わかってんだ、そんなのは違う。
そうならざるを得なかった、誰だってそうだ、自らの手が赤く染まっていく様をみたいなんて思うはずがない。だってそうだろ、その残像はもう、一度見たら剥がれない。あんただって、そうなんだろ。手を休めたら、腰を下ろしたら負けなんだってそう、思ってきたんだろ。
いいんだよそれは、俺が否定してあげるから。進むのをやめたって、俺が背中を押してあげるから。
恐れることはないんだ、だってあんたは強い。強い心を、ちゃんと持ってるじゃないか。俺は少し、それが足りなかっただけ。違うものに目が、いってしまっていただけ。
だけど俺は、それを間違いだなんて思ったことはないんだ。だって。
「ちゃんと、護る…から、」
約束を、した。
遠い日の、約束。
それだけを護るために、生きてきた。そして今俺は、その使命を終えた。
わかってくれよ、つまりそういうことなんだ。役割を終えたから舞台から降りる、ただそれだけのことなのだと。
いちばんに理解したつもりでいた、あんただからこそ。そんな風に辛そうな顔をしないでほしい。痛いんだ、胸が。最後くらい、約束を守った俺を褒めてくれたっていいじゃないか、いつだって仏頂面で、好きの言葉すら囁いてくれないあんただから。ねえ、――最期、くらい。
「…、ふざけんな…っ」
橙色の閃光が迸って、耳をつんざく爆発音が響いた。しかめられた眉。せっかく整った顔なのに、そんな表情しかしないなんて勿体無いよ。
俺にはない深緑の瞳だとか、灰色の髪だとか、低くなりきらない声だとか。あんたは何かにつけて嫌がってたけど、俺は大好きだったよ。…大好き、だよ。
だからさあ、卑屈になることはないと、思うんだ。
どうかな、最期くらい、俺の言うこと、聞いてくれる気になったかな。
しゃべったつもりが声にはならなくて、仕方ないから指を伸ばした。真っ赤な、手。今までのように、触れられない。ごめん、やっぱり俺は、弱い人間だった、から。
重なるように手が伸びてきて、慌てて指を下ろした。ごめん、ごめん…でも、もう、だめなんだ。
「これ、くらい、しか…できな、くて」
そう、なにも、思いつかなくて。
最後に脳裏を掠めたのがあの約束だった、ただそれだけだったんだ。別に、あんたを護ろうだとか偽善ぶったこと、考えたわけじゃない。だってそんなことしたら、あんたは馬鹿だと怒るだろう。
そんなことは、わかっていたんだ。
悲しませてしまうだろうことも、わかっていたんだ。
たくさんの人に涙を流させてしまうだろうことも、わかっていたんだ。
わかってた。ちゃんとわかってて、それでもなお、最後に勝ったのは、俺の身勝手なエゴだった。
ごめん、ただそれだけ、なんだ。
「バカ…やろうっ」
「…うん」
「お前はっ、究極のバカだ!」
「うん」
「いつもいつもヘラヘラしやがって、」
「うん」
「腹立つんだよ、お前見てると!」
「うん」
「……だけど」
「うん」
「好き、なんだ」
「………うん」
知ってた、全部、知ってたよ。
ごめん、悪いのは全部、俺なんだ。
「死ぬなよ、山本…っ」
「………」
「好きだ、なんて、いつでも言ってやるから…っ」
「…うん」
「だから……っ!?」
閃く橙。火薬の匂い。
咄嗟に、峰で彼をなぎ払った。
ああ、これで、最後。
「やまもと…!」
「約束は、護る、よ」
ふざけんな、と叫んで立ち上がろうとする獄寺のみぞおちに、もう一振り刀身をぶつけて。痛みに喘ぐ彼を遠ざけるように、駆けた。
これは、醜いエゴ。
わかってんだ、だからどれだけ罵ってくれたっていい。もうお前なんか嫌いだって、最期になるだろう背中に浴びせられたっていい。だけど俺は、変わらずお前を想っているから。それだけはせめて、赦してほしい。
「仲間を護ろうってか?泣かせるな」
「……口は瞑ってないと、舌噛むぜ」
息があがる。流しすぎた血液を求めて、身体が熱を送り出す。ふらりと眩暈がして、傾いた重心を刀に預けた。刹那。飛沫を上げる紅。
ああこれは誰のもの。
見たこともない、この鮮やかなくれないは。
――勝ってしまって、ごめん。
だけど絶対、負けることだけはできなかったんだ。
言い訳だと思うならそれはそれでいいけれど、せめて伝えられたらよかったなぁとぼんやり思う。
謝ってすむ問題じゃないと、そんなことはわかってる、けど。どうせすべて自己満足なんだから。
「……ごめん…」
ごめん。
一緒に生きられなくて、ごめん。
ごめんな、獄寺。
耳元で、かすかに蘇る声があった。
それは遠い日の約束。
決して護ることのできない約束。
いつか破る日が来てしまうことはわかっていた。
それでも交わした約束。
少しでも、この声が届くようにと。
「お前に人を殺させない」
それは、見たこともないほどに美しく、
見たこともないほどに残酷な、最期の約束。
でも、それでも。
たとえそれが醜いエゴだとわかっていても。
(失うことだけは、いやだったんだ)
/07.06
ワンパターンでごめんなさいな未来話。
最近めっきり感動に飢えているので、自給自足を目指しつつ。
例のごとく撃沈orz