ニゲラに神様を見た

「迷子？」


このボンゴレ基地内に？と怪訝な顔で聞き返す雲雀に、顔もよく覚えていない部下は「はあ…」と曖昧に頷いた。
正直いらついている。どうして自分は迷子の報告など受けているのか。待っているのは先日出発させた反発勢力鎮静部隊の成功報告だ。迷子がいると聞いたところで基地内のセキュリティをあざ笑うことはあっても特別何かの指示をしてくれる気など全くしない自分に（それくらいは自覚しているし、紛れもない事実だ）わざわざ報告にくる意味が分からない。そんな厄介事は、そこらをふらふらと漂っている馬鹿みたいにお人好しな男に持ちかければいい。ちょうどその迷子と精神年齢も同じくらいだろうし。直属の上司ではないにしろファミリーの幹部の彼の名前を知らないわけもない、少なくとも自分にするよりはずいぶんと持ちかけやすい相手だろうに。
半ば無責任な理由で募るいらいらを眉間に集中させると、部下の口からひっと小さく声が漏れた。感情が飽和に近づいてきた。無表情のままにトンファーに手を伸ばしかけたところで、ふと、少し離れた位置から今度は聞きなれた声がする。


「恭さん！」
「…哲」


早くこの厄介事をなんとかしろ、と目線とオーラを用いて伝えれば、10年来の腹心の部下は至ってまじめな顔で出で立ちを整えた。こちらも何か用件がありそうだ――しかもこの、きょろきょろと視線を泳がす部下と同じような。


「……なんなの」
「それが」


草壁が口を開き、ようやくこのいらいらも少しは払拭されるだろうかと思った手前、突然移動性の黒い塊がはるかに長い廊下の彼方からものすごいスピードで草壁の背中めがけて突進してきた。うお、と声を上げて息を詰まらせ、一歩前へ踏み出した草壁のそのさらに前で、雲雀は眉をぴくりとも動かさないまま少し驚く。なんだこの物体は。


「…何者？」


尋ねれば、ごほごほとせき込みながら顔を上げた草壁が何か言おうと口を開いた、が、残念ながらそれはすぐに背中から聞こえてきた馬鹿でかい大声にかき消された。


「風紀委員のおっさん、おれ、ちょっと腹減っちまったのなー」


我が会話を妨げし者、何人たりとも屠るべし。腰元に引っかけてあるトンファーをかちゃりと構えて振りかぶろうとしたところで、違和感を覚えてふと手を止める。なんとなくその声に聞き覚えがあるような気がしたからだ。自分の背中をばしばしと叩きながら図々しくも飯をねだってくる未確認生命物体をそのままに、息を整えた草壁が生真面目な顔を繕って雲雀に向かう。取り出したトンファーをひとまず仕舞い込むと、草壁はふうと一つ息をついて先ほどの報告の続きを始めた。


「その迷子が、彼なんです」
「彼？」
「ん？」


雲雀は草壁の視線に、塊は草壁の手のひらに促されて、お互いを正面から捉えた。目が合う。一瞬だけ、時がとまった。全くもって意味が分からない。口を開くこともできずぱちぱちと瞼を動かす二人を見て、草壁が小さく笑いを漏らす気配が伝わってくる。それは刹那の出来事だったが、きっかけとしては十分すぎた。


「……君」
「ああーっ、ヒバリー！！」


数々巡った嫌な予感が一瞬にして肯定された瞬間だ。雲雀が素早く身を交わすのより一瞬早く、塊――恐らく、名は山本武という――が凄まじいまでの勢いで飛びついてくる。一瞬とは言え雲雀が彼に遅れをとるなんて、雲雀曰く恥さらしもいいところな状態になってしまったのは、偏にそのブランクのせいだ。彼に出会い頭に飛びついてくる習性を無理矢理に直させたのは、もう何年も前になるはずだった。
つまるところ。


「あれ？つかヒバリでかくね？ほんとにヒバリ？もしかしてニセモノ？」
「…とりあえずどいたら」


密着したわき腹にたたき込もうとした拳をひらりと交わして射程距離外に逃げでた彼は、少なくとも雲雀の知る「奴」ではないということだろう。理解してしまえばなんら不思議なことでもない。この世界ではむしろ、日常茶飯事にも近い出来事だ。


「あっぶねー。…へへ、でもやっぱ、ヒバリだ」


殴られそうになったというのにヘラヘラと笑いながら性懲りもなく射程距離内に入ってくる浅はかさは、奴に寸分違いないものだけれど。とりあえず自分より一回りだけ低い身長で背比べをするように向き合って背伸びをしだした少年に一発拳をお見舞いして、脇に控えた草壁に視線を送る。


「…どういうこと」


いててて、でっけーヒバリも容赦ねーのなー！とのん気な顔で笑う男にはなるべく視線を送らないようにしながら心なしか先ほどよりも低い声で尋ねると、草壁は困ったように首を捻ってから顔を整えた。


「はっきりとしたことは言えませんが…恐らく、ボヴィーノのバズーカの暴発が原因かと」


そこまでは予想がついている。というか、こんな事態が起こる原因はそれ以外に考えられない。問題はその後だ。ひしひしと迫り来る悪い予感はおそらく間違ってはいないのだろうとは思いつつ、一応確認までに尋ねておくことにする。雲雀は、ゆっくりと草壁と視線を合わせた。


「……それで、彼が来て何分経つの」
「かれこれ30分になります」


あの存在意義のわからない装置の故障もいい加減にしろと思う。大体、そんなにしょっちゅう暴発だの故障だの何だの問題を起こすくらいなら、とっととバズーカ自体、ひいてはボヴィーノファミリーそのものを潰してしまえばいいのだ。もともとあんなものの用途は皆無に等しいのだから。イタリア屈指の大マフィアが、あんな中小ファミリーの道具にかき回されているなど甚だおかしい話だ。面倒ごとは早いところ根から退治してしまえばいいのに、それが簡単にはいかないなんて守護者だ何だのの制度は鬱陶しいことこの上ない。これだから弱い動物の群れは嫌いなんだ、と少々こじつけにも近い理由により、雲雀の機嫌は更に下降していく。


「じゃあ早いところその子沢田のところに持ってきなよ。僕はガキの面倒見てるほど暇じゃないんだ」
「はあ。私もそうしたいのは山々なんですが」
「なあヒバリ、この屋敷案内してくれよ！広すぎてわけわかんねーんだ」


草壁の声をまたも遮って、若かりし山本は大声を張り上げながら踵を返した雲雀の目前に立ちはだかる。進路をふさがれて雲雀は眉間に皺を寄せた。こういうことに関して、彼の嗅覚は目を瞠るものがあった。人の行動を先読みして、ことごとく先回りしてくる。考えれば、出会ったときからその能力だけは人並みはずれて長けている男だった。そんなことを思い出して、雲雀は剣呑な表情を作る。何を懐かしい、なんて思っているのだ自分は。


「どきなよ。僕は疲れてるんだ」
「固いこと言いっこなしだぜヒバリー。他の人に頼もうにも、みんな忙しそうなんだよ」
「だから、僕も忙しいって言ってるだろ」
「んー、でも、屋敷ん中ではヒバリ、いちばん暇そうなのなー！」
「…………」


ちゃき、無言で構えられたトンファーが高い音を出した。山本は慌てて顔の前で両手を振りながら、あー違う嘘嘘！と必死にまくし立てている。自分が地雷を踏んだことくらいには気づいたようだ。処世術だけは一応、持ち合わせているらしい。


「じゃなくてさ、おれ、ヒバリに案内してもらいてーんだもん。だめ？」



















久しく見る無垢な表情にほだされたのかもしれない。このごろはすっかり挑戦的に持ち上げられた口端ばかり目にしていたから、思わず庇護欲（自分に最も似つかない欲求だ、と雲雀はわらった）がわいたのかもしれない。ともかく気づけば雲雀は伸べられた山本の腕をがしと掴み、後ろから飛んでくる草壁の声も聞き入れずずんずん徒歩を進めていた。
廊下のいちばん奥に位置する角部屋を自室に選んだのは雲雀自身だった。ここがいちばん外部からの干渉を受けることなく静かに過ごせると思ったからだ。しかしその予想はすっかり外れ、隣の部屋を選んだハタ迷惑な住人にその安息は荒らされるばかりである。まあその点においては自分がどの部屋を選んでも変わらない結果であっただろうから、部屋の位置はたいした問題ではないのだろうけれど。そんなわけで、周囲の雑音から身を守るために選んだ部屋は、今では内部から漏れる音を中に閉じ込めるためのものになっている。不健全極まりない。が、仕掛けてくるのはいつも向こうなので自分に負はないと雲雀は自負していた。


「うっわー！広ェ！」


ガチャと音を立ててドアノブをまわせば、鍵のかかっていない（雲雀の部屋に侵入するなんて命知らずはひとりしか知らないし、彼に対してはもう諦めて甘受することにしている）扉は簡単に開いた。無言で握っていた手を話せば、山本は引きつけられるようにただっ広い室内へと足を運ぶ。背中から人様のベッドにダイブして、すっげーふかふかー！などと喚いている山本から視線をそらして、雲雀は処理中の資料を放り出したままのデスクへと腰掛けた。確か彼の要求は「屋敷内を案内してくれ」とのことだったが、どうせそれは態のいい建前でしかないのだと理解している。放っておけばその内戻っている、もしくは哲辺りが修繕した件のバズーカを持ってくるだろう。自分の仕事はここまでだ、と雲雀は仕事に戻るため眼鏡をかけて書類の束を持ち上げた。この部屋が託児所になった覚えはまったくもってありはしないが、その辺りは後々帰ってきたこの世界の彼に責任をとらせればいい。少なくともそれで十二分に雲雀の鬱憤は晴れる。


「なーヒバリー、このベッドってシングル？ダブル？」
「…………」
「あ、そういや、ヒバードどうしてる？元気？」
「…………」
「なーなー、そういやおれ今日朝飯食ってないんだけど」
「…………」
「ヒバ、っとお！」
「……うるさい」


空気を裂いて飛んできた文鎮を大げさなアクションで避けて見せた山本に、雲雀が低い声で告げた。当たったら一発で即死にもなりかねないようなものをなんの躊躇いもなく投げつけてくる辺り相変わらず（という表現は多少語弊があるのかもしれないが）容赦がない。雲雀からすればこのくらいのもの避けられて当たり前だという前提があっての行動なのだが、山本がそれに気づいているかどうかは知ったことではない。気づいていなければいいと思うが、恐らくそれはないだろうところが更に癪だ。
いつもより鈍い動きで危険物を回避した山本は、心なしか冷や汗を浮かべながらベッドの上に転がった文鎮を拾った。あっぶねーなヒバリーなどと嘯きながら、手のひらにずっしりと重量感のあるそれを握りなおす。訪れた沈黙に、雲雀は片眉を上げた。それでもなにもしゃべらないならそれはそれでいい、彼のメンタルの処理は過去の自分に任せるが吉だと仕事を続ける雲雀に、予想通りといえばその通りだが、山本はゆっくり口を開いた。


「なー、ヒバリ、」
「………何」


手のひらの中で、緑色の文鎮が何度も握り返される。それは伝わってくる重みを確かめているようでもあった。伏せられた睫の下に隠れる瞳の色は、眼鏡越しではよく見えない。それでも雲雀はそのレンズを外すことなく、書類越しに山本を横目で窺った。また碌でもないことを、内心でため息をつく。馬鹿のくせに考えすぎるのは彼の悪いくせだ。


「おれもさー、ベッドで寝てる？」
「知らない。この部屋にいるときは大概ベッドだね、疲れてソファで朝まで寝てることもあるけど」
「…わあ、そりゃーまた、お盛んな」
「お互い様だよ」
「ははっ、でもま、変わってねーみたいで安心したけど」


相変わらずヒバリおもしれーし、呟く表情はどこか落胆して見えた。はは、と笑う顔には覇気がない。文鎮が、くるくると回っては握られ、回っては握られを繰り返している。それが何かとシンクロして、雲雀は一瞬眩暈を覚えた。この記憶は、何だ。何度も見ていたような気がする、蒸しかえるような暑さの中、照りかえる太陽を背に、手のひらの中で転がされる――ばちっと何かが弾けた瞬間と、彼の手から文鎮が零れ落ちた瞬間とは、寸分違わず一致していた。


「ここにも、おれの部屋、あんの」


煌々と輝くグラウンド、伝う汗、涼やかな応接室、見下ろす自分、盛られたマウンド、握られたボール。帽子の下の、今も焼きついて離れない表情。像を結んで、目の前に呆然とうずくまる少年とぶれて重なった。
ああ、諒解する。彼は彼で、奴とは違ったのだ。自分にとっては「昔」のその情景が、彼にとっては「今」なのだ。
記憶よりもわずかに小さく見える背中を睥睨しながら、雲雀は小さく息をついた。甘くなりすぎている自覚を持ちながらも、ゆっくりと立ち上がる。距離を詰めて触れてみたらそれは、見た目よりも更に小さな背中だった。


「………、」
「ここは、君の世界じゃないから」


口を開けば、ようやく傍らに立った雲雀の存在に気づいたように、山本は緩慢な動きで顔を上げた。その瞳に灯った悲壮にも近しい色の光は、確かまだ十代の半ばだったと記憶している子どもにはとても似つかないものだった。胸の内に芽生えた小さな憤りの炎を、誰にぶつけたらいいのかわからなくて困る。彼の未来に「今」という選択肢を与えた者へか、数ある未来の中からこの「今」を選んだ奴へか。誰だっていい。誰だっていい、けれど、ただひとり、目の前の少年にだけはぶつけるわけにいかない。


「そんなことは、アイツに考えさせとけばいいんだよ。君はただ、自分のやりたいように生きておいで」


言葉にしてみればそれは本当に陳腐な要求で、そんなことをさらりと口に出せてしまった自分に雲雀は少々驚いていた。正直、そんなことをいうつもりはなかった。何と声をかけたらいいのかとらしくもなく逡巡する素振りさえ見せていたというのに、口を開けば飛び出た言葉のなんと丸いことか。
それに驚いたのは少し下から見上げてくる少年も同じだったようで、山本は見慣れたものよりも丸みの強い瞳を瞬かせてから、はらりと花が綻ぶような笑顔で頷いて見せた。本当にしばらくぶりの表情だ。これをあれと同一として見るのは、少々難しい。それでも確かにどちらも山本であると、本能的な部分が知らしめてくる。吐きたくなった溜息を、懸命に飲み込んだ。


「でも、そーだな、うん、とりあえず近くに、ヒバリがいるんだもんな」


答える声をなくしたのは雲雀だ。問いに応えるべき解答は持っている、もちろんイエスだ、が、あまりに突拍子過ぎる話の展開と山本の表情の立ち代りに、他事を考えていた脳みそは咄嗟に反応しきれなかった、ということである。


「おれが選んだ未来なら、全然、それでいーんだ。だって、ヒバリいるならきっとおれ、幸せだし」


心臓を鷲づかみにされたのではないかというほどのこの衝撃も、随分久方ぶりすぎて効果倍増。衝動に突き動かされるまま、雲雀は山本を胸に掻き抱いた。
ああ、なんなのだこのいとおしい生物は。
あの頃は、そんなことを感じたことはなかった。それだけ価値観が変わったということなのかもしれない。へ、あ、ヒバリ？などと戸惑いながら背中に手を回して抱き返すべきかと迷っている山本を尻目に、雲雀はそんなことを考えていた。


「前言撤回」
「え、ん？」
「自分のやりたいようにっていうの、取り消す」


えー、なんだよそれー、と苦笑いに変わった表情を汲んで、雲雀は未だに宙をさまよっていた山本の両の手を自らの背中に回させた。ん、と躊躇したような声が一瞬漏れて、次の瞬間にはぎゅっと力が込められる。


「僕についておいで」


そうだ、このくらい傲慢なほうが、自分たちには似合っている。


「そうしたら、僕は、絶対、」


ぼんっ、という爆発音と共に部屋中が煙に捲かれたのは、まさにその瞬間だった。胸に抱えた質量や、背中に回された手の感覚が、疑う余地もなく摩り替わっている。考える必要もない、変わった瞬間に、わかっていた。
雲雀は小さく息をついて、まだ煙の収まる前に山本の背中に回した腕を解く。そのままベッドから立ち上がろうとした瞬間に、まだ解けていなかった雲雀の背中に回った腕が、ぐいと元の位置まで雲雀を引っ張り込む。この馬鹿力が、と雲雀は胸中で毒づいた。やがて煙が消え去ればそこにあるのはいつもの挑戦的な笑顔と先ほどまで聞いていた声よりも１オクターブ低いそれで、でも確かに紛れもなく、「僕の」山本なのだろう。
これから投げかけられるであろう質問を思って、雲雀は暗澹たる表情を浮かべた。今更過去の過ちを取り消そうとしたところでもう遅い。そもそもこの山本に懸案事項を与えたのは自分とは違う時空にいる「雲雀」であったはずなので、自らの行動に後悔したところで理屈としてはなんの変化もないのだけれど。


「ただいま、ヒバリ。さっきのセリフの続き、聞きてーんだけど」


開口一番あまりにも予想に反しない愚か者の質問には、とりあえずはトンファーを打ち込むことで有耶無耶を返そうと決めた。













（A.後悔など、させはしないから）









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／08.05

保護者な雲雀が書きたかった
原作を無視しまくりなのでパラレルワールドということでひとつ

シィさま、素敵リクありがとうございました！遅くなりまして申し訳ありません＞＜＞＜