荒い息が、室内を攪拌している。
流れる水の所為か、鼻の奥を占領していた鉄の臭いがすっと薄れた。
無惨にも砕かれ、コンクリートの残骸と成り果てた校舎は、ずっと感じていたイライラを増徴させる。
そうまでして作られた水張りのフィールドに足を踏み込むと、ぴしゃんと濡れた音が響いた。
纏う服が重い。しみこんだ血の所為だろうか。
くらっと一瞬遠のいた意識を寸でのところで引き戻して、雲雀は砕かれたコンクリートの柱に体重を預けた。
変わったと思ったのは、なにも校舎の形だけではない。
振りかぶったトンファーを受け止めた男。山本武の――瞳の奥が。灯った炎が。
どうしようもなく、内側にくすぶる感情を煽った。群れているからという理由ではなく、気に入らないからという理由ではなく、どうしようもなく咬み殺したくなった。
ではそれはどんな理由の衝動なのか。考えても答えが出ないことはわかっていた。だから、考えなかった。
それでも、切な欲求だけは存在する。
だから、負けるなと。そう言ったはずではなかったか。
視界をもたげると、目の前にそびえる鉄の棒のいただきに、きらりと光るものが見えた。あのうるさい眩しさは、彼らが求めて止まないというリングだろう。本当に馬鹿らしい。あんなもののどこにそんな価値があるのか、まったくわからない。
あれを使えば、目の前に横たわるこの男を苦痛から逃れさせることが出来る。…らしい、が。
「………」
助ける理由はない。
そもそも、どうしてここに向かってきたのかもわからない。
彼がここで死ぬなら、それはそれだ。人は誰しもいつか死ぬ。ただ、それがいつなのか、遅いか早いかの違いだけが存在する。
彼がここで死ぬにしても生きるにしても、それは彼の宿命であり、それに自分は何ら関係ない。
そうと決まった彼の運命を、曲げる気も曲げてやる気もない。…なのに、本当にわからない。
どうして、いつの間にか。
あの鉄塔は崩れ落ちてしまっているのか。
そして、なぜ、リングが僕の手の中に。
「……、」
鉄塔が崩れ、建物が更に壊れる音に気付いたのか、響いていた呼吸のリズムが不定期に乱れた。
眉を顰める。生きていた。
「ヒ…バ、リ…?」
苦しそうに眉根を寄せてそう呼ぶ男は、半開きの瞳で自分の姿を捉えたようだった。
しぼりだす声にいつもの瑞々しさはなく、浮かぶ表情も常とはまったく異なる。
痛々しいとは思わなかった。ただ、そんな表情も出来るんじゃないかと、意外に思った。そして、その方がよっぽど人間らしいと、思った。
は、は、と更に増徴する、呼吸音。
どうやら何か伝えようとしているらしいと感づいて、それでも何も言わないまま、雲雀はそれを待った。
「……か、った…」
よく聞こえない。違う、聞き取れない。
「なに」
「……よ、かった。ヒバリ、無事…で、」
人はどうしたらここまで浅はかになれるものなのか。呆れを通り越して、いっそ天晴れだとも思った。
乱れる息が、彼の身体を蹂躙する苦痛の大きさを伝える。それなのにどうして、笑おうとするのか。
理解できなかった。しようともしなかった。
…けれど。
「キミは、どこまで、」
囁いた声は、きっと彼の耳に届いてはいない。
体内を犯す毒素に、意識は持っていかれてしまっているはずだ。
「……今回は、しょうがないね」
一応、約束は守ったようだから。
そう、言い聞かせるように呟いて、雲雀は手中のリングを放り投げた。きれいなアーチを描いて、小さく無機質な金属は山本の右手のすぐ手前に落ちた。
もう一度。
いつもみたいに笑い出したら、
ゆっくりと、なじるように咬み殺してあげる。
/07.02
オフィシャルでヒバ山キター!!!
ちゅーさせようかさせまいか最後の最後まで迷った。←