正午、プラス一時間の憂鬱
「さっかえぐちー!」
「んー?」
昼休みの1組の教室におれが現れるのはそう珍しいことじゃなくて、片手間に返事をする栄口も栄口の正面から左側に移ってくれる巣山も席を譲ってくれる栄口の前の席の女の子も、すっかり慣れきってしまっている。うんうん、嬉しい傾向!
さっきまで女の子が座っていた椅子をぐるりと反転させて、栄口の正面に座り込む。ひとつの机に3つのお弁当箱はちょっと渋滞気味だ。もう開かれた栄口と巣山の弁当に食欲を刺激されながら、早く早くとおれも弁当箱を開く。ふ、と。
「あ、さかえぐち、それ!」
「え、なに、」
「たまごやきー!3つも入ってる!」
「…あ、ああ、うん」
「おれ、さかえぐちのたまごやき大好きなんだよねー!」
目に留まったのは、金色に輝くたまごやきさま。前に弁当忘れたおれに分けてくれたたまごやきは、うちの母さんが作るのよりはちょっと甘味が強くて、すっごくおれ好みの味だったんだよね!以来おれはすっかり栄口家のたまごやきの大ファンなわけで。
よだれを垂らす勢いでうらやましそうに指をくわえたら、じとっと栄口の視線が呆れたような光をもった。…あれ、遠回りに催促しちゃった、かな?
「あ、えっと、その!」
「…いーよ、いつもより1コ多く入れてきたから、食えば」
「え、あ、いいの?」
「ドーゾ」
ああだけど本能は実に欲求に従順で。空腹時に大好物を目の前に吊られて、追いかけない馬はいない。
というわけでゲンキンにも目を輝かせたおれに、栄口の弁当箱がすっと差し出される。おれは弁当箱を包んだ布巾をほどく手を休めて箸を取りだそうとした――けど。
「……あれ、」
ないないないない。弁当を入れてきた袋のドコを探しても見当たらない。
「どしたの」
「――な、い」
「なにが」
「おれのはし!」
うううわ母さんのばか!恨むぞ、箸なしでどうやってお弁当を食べろと言うんだ!目の前に大好物を吊られて、よしの言葉ももらって、それなのに手綱が短すぎて床に置かれたニンジンに口が届かないなんて、ああなんて拷問!
目を潤ませたおれに、栄口があきれたように息をついた。
「水谷って、ばかだよね」
「があん!」
「…ちょっと待って、」
そう言うと栄口はおもむろに自分の箸に捕まれていたほうれん草の煮付けを口に放り込んだ。…え、え。これはまさか!
栄口が食べ終わった後の箸を貸してくれるとかそういう、ことなんではないですか。それは、それはつまり、不可抗力とはいえ俗に言う間接キスとか…そういうことに、なるんじゃないですか。
前言撤回、神様仏様お母様!箸入れ忘れてくれてありがとう!
「はい」
「ああああありがとうさかえぐちさま!……あ、れ?」
さっきまでとは違う意味で泣きそうになったおれに差し出されたのは先ほどまで栄口が口に運んでいた緑色の箸、ではなく。こう、なんかよくコンビニとかで見かけるような、茶色くて使い捨てで…あれコレって何だっけ。
「割り箸」
おれの心の混乱を読んだように、栄口はにっこりと微笑んだ。…いやこれは本気で心読まれちゃってるよね!大きすぎるおれの愛のパワーのせいかな!
「いやなら食わなくてもいいけど?」
「いえ!ありがたくいただかせていただきます!」
「はいドーゾ」
半ば混乱した脳内を慌てて正常に戻して返事をすれば、栄口はにこりと笑って頬杖をついた。ああやっぱりかわいいなあ。ゆるむ頬を見られるとまた栄口が表情しまっちゃうから、隠すように慌てて拝借した箸で黄色いたまごやきを口に運ぶ。途端に、口全体に広がるおだやかな甘み。くううう、やっぱり、
「うまああああい!」
「っ、みずたに!うるさい!」
大声をあげると、栄口が焦ったようにおれの口を塞ごうとしてくる。だけど長いお預けのあとに与えられた飴は何よりも甘美な味わいで、今のおれは誰にも止められない。
恥ずかしさで顔を赤らめる栄口がこれまたかわいいと来たもんだから、尚更。
「だっておいしいんだもん!ああおれ幸せー!」
「みずたに!」
「ぜつみょーな甘さがいいんだよね!」
「黙れって!」
照れ隠しのようにべちんと頭をはたかれて、ようやくおれのテンションが通常に戻った頃。栄口の顔はもう茹でタコのようでそりゃあまたかわいいのって。
にこにこーとゆるんだ頬を修正できないでいると、栄口が諦めたように息を吐いた。呆れられてるような気がしないでもないけど、今更そんなことでへこたれるフミキではないのです!(あれ、もしかしてこれってちょっとさみしい?)にこにこと甘いたまごやきの余韻に浸っていると、栄口が顔を覆い隠した両手の間からちらりと瞳を覗かせる。
「…きょう、いつもより砂糖入れ過ぎちゃったんだけど」
「そーなの?でもめちゃくちゃおいしかったよー!」
「あ、そ」
赤らんだ頬を隠すようにばっとおれの手から弁当箱を取り返してもくもくと弁当を食べ進めるさまもすっごくかわいいなあちょっと砂糖入れすぎたからって気にすることないのに栄口が作るものなら正直なんでもおいしいもんってあ、れ?
「……………」
「……………」
「……ぇぇぇえええ!」
「え?」
突然の大声に驚いたらしい栄口が目をしぱしぱとしばたかせながら立ち上がったおれを見上げている。ああそんな上目遣いは危険だよかわいすぎるから!…ってそうじゃなくて。
「え、え、コレ、さかえぐちが作ってるの…?」
「あ、うん、そうだけど?」
何でもないことのように頷かれて、つま先のあたりから見る間に痺れるような感覚が登ってきた。それが体を一周して、心臓に溜まってばくばくと音を立てる。
こみ上げてくる言葉は、口を開けばすぐにこぼれてしまった。
「あ…あ、あの、さかえぐち!」
「え、なに、」
「絶対に幸せにするから、お嫁にきてください!」
「…………」
静かな間が、場を占拠した。
あれ?なんかまずった?と思ったときには、野球で育んだたくましい拳がおれの左頬にまっすぐに飛び込んできていて。為すすべもなく正面からそれを受け止めたおれが吹っ飛んだ場所から立ち上がったころには、そこに栄口の姿はなかった。一瞬の静けさから開放された1組の教室内は、もうさっきまでのざわめきを取り戻している。いやあホント、慣れって怖いね!
「ねえねえ巣山、おれどこでまずったのかなあ」
「……とりあえず、存在だろ」
巣山の声は聞こえないふりをして、おれはようやくお弁当に箸をつけだしたのだった。
ああ、浅ましきかな俺!
(だけどやっぱ素直さは大事だと思うんだよねえ)
/08.02
…言い訳が思いつかない^^
使い古されたネタだよなーと思いつつ授業中に書いてたら止まらなくなったのです\(^0^)/
たぶん書いたのは去年だと思うけどもう手直しもする勇気がありません