ねがわくはかなぎりなく
『後悔しない?』
いうなればそれは、最後の審判だったのかもしれない。
ずっとおれたちを見つめ続けてくれていた彼の、最後の忠告だったのだ。
『しねえよ。絶対、しない』
もう仲間はずれは嫌なんだ。蚊帳の外で見ているのは辛いんだ。いい加減、そっちの輪に入れてくれよ。
ぎゅっと握った手を振りほどくでも握り返すでもなく、ツナはただふっと泣きそうな顔で笑った。
「―――!」
暴言と爆音と喧騒が響く。雑音という雑音が鼓膜を支配して、一瞬、自分がどこにいるのか、足場を見失った。
赤い閃光が迸る。爆風が頬をなぜて、一拍あとに散り散りになった家々の残骸がすぐ横を走り抜けた。
何が起こったのだったかと、冷静さを欠いた頭で考える。冷静さはなけれど、不思議と頭は現状を理解しているようだった。やけにすんなりと、どれくらい前だったか、いつもよりも低い声で告げられた声が蘇る。
敵対するマフィアが海外の大きな教団と手を結び、莫大な軍資金を手に入れたと。いつ真っ向からこられても不思議じゃないからと。そのときはきっと近い――だから、覚悟しておいてと。そう、ツナ――ボスが、言っていた。
『後悔しない?』
耳の奥に響く、懐かしい、今よりも少し高いその声。それを聞いたのは、さきほどの警告よりも少し前に遡る、まだ今以上におれたちが、幼い頃だった。
ツナについてマフィア入りを果たしたといっても、なんだかんだで実戦はまだ一度も経験したことがない。小さなけんかに近い諍いはあれど、「戦争」というほどのものは、それこそ想像の片隅にだってありはしなかった。
おれにとって戦争は、ブラウン管の中での出来事だった。マフィアの世界の何たるかを知らないわけじゃない。それがリアルになる、おれが足を突っ込もうとしているのはそういう世界だとわかった上で、諭された上で、ツナの問いに頷いたはずだった。それなのにいつの間にか、忘れていたのだ。遠い、遠い世界の話だと感じ始めていた。
だって隣にある笑顔は何も知らなかった中学生の頃となんら変わらなくて、周りを取り巻く環境だって変化という変化はありもしなかった。相変わらず獄寺がツナに溺愛で、おれはいつだって邪険にされてて、ツナがそれ見て苦笑いして。
何にも変わっていないと思っていた。ただ、やっと居場所が出来たのだと、勝手な勘違いをしていた。
今までと同じように、他愛もない話で笑って、時にはけんかもして、何も変わらないまま生きていくのだと。そしてそのまま、いつかは死んで、土に還るのだと、思っていた。
「――山本!」
突然怒声に近い声が背後から飛んできて、おれは咄嗟に後ろを振り向いた。と同時に後方にぐいと引き寄せられる感覚、次いでぐちゅっという鈍い音。ぱあんと乾いた火薬の弾ける音が、塞がれた耳元で鳴る。染まる、視界。
朱、鮮やかなほどのあかが、広がった。一瞬にして真っ黒にカットアウトされた視界の中にぱっと開くあかを、美しいとさえ、思った。
どさり、おれの代わりに動かなくなった人間の身体(であったもの)が、脇に倒れこんでくる。それから正面の黒い影がゆらっと揺れて、左胸の風穴から赤い飛沫を撒き散らしながら息絶えた。
人、数秒前までおれと同じ人間だったものがふたつ、おれの命を奪わんとして得物を掲げてきた生命がふたつ、物言わぬ赤黒い塊に潰えた。おれの命を護ることと引き換えに。
「っ、何してんだ!死ぬ気か!」
「……こぞー」
ぼーっとその肉塊が地面に倒れゆくのを見送っていたおれを、痛いほどの力で腕を引っ張った小僧が心なしか息を切らして怒鳴りつけてきた。
切羽詰った形相に驚いて謝ろうと口を開きかけたところで、突然に胸部を圧迫される。びくりと身を固めた次の瞬間に身体中に小僧のぬくもりを感じて、知らず肩に入った力が抜けおちた。錆びた鉄の匂いがする。小僧の匂い。
「おれが、おまえに死なれたら困るんだ…!」
いつになく弱気な声に、ようやく諒解する。
変わっていないなんて嘘だ。いつだっておれたちの周りの風景は目まぐるしく変化していた。だってこんなに近くに、当時はあんなに遠かった視線が、ある。高かった声は、ずいぶん低くなった。見上げた顔つきが、精悍になった。かつて肩に乗せて目線を合わせていた小僧が、いつの間にかこんなに大きくなって、おれを落ち着かせるための色香を放って、すっぽりとおれを包み込んでいる。おれのわがままを、自分のエゴだと主張する。
変わっていないなんて、嘘だ。変わっていないものが、見つからない。
爆音がとどろく。目がちかちかして、景色を見失いそうだった。
いつからこんな風だったのだろう。ついてくると決めたのは、おれだったのに。すべてを知った上で、後悔しないかと尋ねられて。ついてくるなとの無言の訴えを聞かなかったことにしてその手をむりやりに掴んだあの日から。きっとすべては変わり始めていた。わかっていたつもりだった。対峙しているつもりだった。だけどなにひとつ、わかっていなかった。
この世界に身を投げることの恐ろしさ。ツナの言う、後悔の意味。今更になって、こんなに遅くになって、ようやく諒解した。
ごめんな、おれ、馬鹿だから。ぎりぎりになってからしかわかんなくて、自分が逃げてたことにさえ気づいてなくて、身勝手なわがままで心配かけたよな、振り回したよな、ごめんな、みんな。ほんとに、ごめん。
「リボーン」
「……何だ」
「おれ、決めたよ」
「何を」
「おれ、死なない。おまえがいいって言うまで、ぜってー死なねえことにしたから」
「…………」
「だから、さ。そんな泣きそうなツラすんなよ」
誰が泣きそうだ、調子に乗んな、ぶっきらぼうな声とともに体温が離れて、胸には生ぬるく人肌に温まった銃が残った。親父から継いだ刀は、未だ人血を吸うことなくおれの背中に乗っかっている。
照れんなって、場には到底そぐわない軽口を叩いて銃のロックを外す。ガチャリと、重苦しい硬質な音がした。
「くるぞ」
凛とした声を合図に、ひときわ大きな爆音をとどろかせて脇にあった建物が崩れ去る。ぐいと腕を引く力はいつかとは比べ物にならないほどに強く、とてつもない引力を生む。
死ぬのは怖くないのだと、告げたことがあった。そのとき彼の顔をゆがめてしまった理由を、今になってようやく知る。背中に触れる身体が温かいことに、心底安心した。おいていかれるのは、嫌だ。ひとり蚊帳の外から彼らが傷つくのをただ呆然と見てるのと同じくらい、自分の無力さが痛くなる。その痛みを背負う覚悟、そして背負わせる覚悟。
つまりはそういうことだ。
置いていって、彼を悲しみに呉れさせる覚悟なんて、おれには微塵もない。置いていかれる覚悟以上に、それはとてつもなく痛くて、苦しい。だからおれは、ずっとずっと、生きていく覚悟を決めるよ。あんたと一緒に生きていく未来を選ぶ。だから、
「リボーン」
「……何だ、もう無駄口叩いてる暇はねえぞ」
「おまえも、おれがいいって言うまで死ぬなよ」
おまえも共に、その道を選べ。これは、契約だぜ。
背中を離してくるりと振り返れば、彼は面食らったように今まで見たことないくらいに目を見開いて、ぱちくりと瞬かせた。不謹慎にも零れそうになった笑みを抑え込んで、背中から刀身を抜く。すらりと鈍く光る刀身を突きつければ、少しの間ののち、彼が懐から取り出した愛銃とおれの愛剣が、キンと鋭い音を立てた。
帽子を深くかぶりなおして、目前の男は、にやりとニヒルな笑みを零して見せる。つられるように、おれも笑った。
「おれたちが死ぬときは心中ってことだな」
杯は誰が為に
(求めてくれるならば喜んで差し出そう!)
/08.01
武器がっちんで契約、が書きたかったんだ^^
なんか毎度こんな話ばっかですいませ、!
相互いただいてるみのさん・しらすさんに捧げます^^
今後もどうぞよろしくお願いします…!