(ふたつめのこころ)
弾力性のあるふかふかのソファに、腰掛ける。子供のころからずっと和室で育ってきた俺にとってこの西洋の長椅子は比較的目に新しいもので、この建物の中でもいちばんのお気に入りの場所だった。
やわらかい感触に包まれて目を閉じると、まるで自分がこの世界から抜け出してしまったかのような錯覚に陥る。どこか遠いところで、まったくの他人事として、世界を見下ろしている気分。このまま融けて、自分までこのソファの一部になってしまうのではないかと、そう思った。それも悪くない。
ここで俺がこのソファと融合してしまったら、アンタは何も知らずに本音を漏らしてくれるだろうか。どれだけ乞うても決して言ってはくれない言葉を、囁いてくれるだろうか。俺の上に腰掛けて、長い指先で背をつ、と撫でながら、思ったよりも長めのまつげを伏せて、ひとこと。俺と同じ想いを、言葉に。
ばかばかしい、思って、ふっと息を抜いて笑った。俺がこのソファになってしまったら、誰が彼に問うというのだ。誰が彼に囁きかけ、誰が彼の想いを汲む。希望する要員はごまんといるかもしれない。だけどそれを叶えられるのが俺だけだということも、ちゃんとわかっているのだ。そしてきっと、彼も。
心地よい感触が眠りの世界へといざなう。危うく意識を持っていかれそうになって、俺はふるふると首を振ってぱちぱちと2度、頬を叩いた。だってこんなところで寝ていようものなら、この部屋の主人が帰ってきたときに何を言われるかわかったもんじゃない。…いや、半分予想がついてしまうから怖いのだけれど。それに、一度寝てしまったらきっともう起きられない。今から朝日が昇るまで寝とおしてしまったら、そもそもここへ来ている意味がなくなってしまうのだ、それこそ「ここはお前の寝床じゃない」と追い出されてしまう。
引きつ引かれつの接戦を繰り広げていると、きぃ、と遠慮がちな音が響いてゆっくりと扉が開いた。まどろみかけていた意識が一気に覚醒して、視線はドアへと惹きつけられる。そこに立っているのはもちろん、ずっと待っていた、この部屋の主人。眉間に皺を寄せて、俺を睨んでいる。まあ、予想はしてたけどやっぱり何かショックです。一度くらい、笑顔で受け入れてくれたっていいのに。まったくひどい人だ。
「……何してんだこんなところで」
決まって質問される内容も、同様。その問いに俺が答えを返さないのも、日常。だってそんなのは、聞かなくてもわかるだろう。自分は一度も言ってくれないくせに、俺にばかり何度もそれを求めるアンタは、ある種俺よりよっぽど強欲なのかもしれない。そしてそれを心地よく思う俺は、もしかしたら変態なのかもしれない。
「ん、おかえり」
軽く片手を挙げて述べた挨拶も、見事に無視。会話のキャッチボールが成立しないのは、いつものことだ。だけどちゃんと話のつじつまが合う辺り、俺たちってば以心伝心ってヤツなんじゃね?と、かつてこぼした言葉は嘲笑に一蹴された。…実はアレ、かなり本気だったんだけどな。
考えてるうちに、身体はどんどんと傾いて。気づいたら、俺はふかふかのソファの上に横になっていた。ああやっぱり気持ちがいい。ふわふわとこのまま、雲にでもなって飛んでいってしまいそうだ。ちゃんと戻ってこれるといいんだけれど。
心地よい感覚に酔いしれて今度こそ意識を手放そうとした手前、おい、と珍しく相手のほうから声をかけられて俺は重いまぶたを必死に持ち上げた。
「………な に」
くるりと顔を反転させて彼のほうを見ようとした、瞬間、目前にあったふたつの相貌に視界を奪われた。何か用?と尋ねようと開いた口は、彼のそれにさらわれて。眠さで押し返す気にもなれなくて(眠くなくったって喜んで受け入れるんだけど)、そのまま促されるままにくちびるを開く。入り込んできた舌がひどく冷たくて、少しずつ意識がはっきり覚醒してくる。やがてちゅっと音を立ててくちびるが離れると、顔を覗き込もうとした俺の意思に反して月明かりを背中に背負った彼の表情は、覆い隠されていた。
「……ザンザス?どした、」
なんでもない、という意をこめてそらされた視線は、しかし別の理由を物語っている。心当たる節はない。理由がわからなくて、俺はやけに重く感じる自らの指先を彼のくちびるに這わせた。先ほどのキスの名残でまだ湿ったくちびるが、声も発さぬままかすかに動く。
「ん?」
「…………」
「…っ、ザンザス、」
ぺろり、指先を舐められて、反射的に引っ込めた。それをさらに捕まえられて、いちど、にど、なんども舌先が、指の腹をくすぐる。思わずもれそうになる声を押し込めていると、ぎろりと上目に睨まれ、て。
「寝かせねえ」
そんな宣言を、下された。
弾力性のあるソファがぎ、と音を立てて、二人分の体重を支える準備を始める。それは果たして、眠りへいざなう子守唄か、はたまた夜を舞う狂詩曲か。答えを出しかねて、俺はとにかく降りおちてきたくちびるに身をゆだねた。
ああ、そうだ。
(二人で融けてソファになってしまうのも、悪くない)
/07.06
あいたたた…やっちゃったザン山。
DVはDVでいいけど、お互いに依存しあってるザン山もどうかな、と…
…うん、需要がないのはわかってる^^