:: そんな関係で、もう十分! ::
「っは!」
力強い掛け声と軽快な打撃音とともに、使い古して土色に染まりだしたボールはネットにひっかけられた「ホームラン」の文字に吸い寄せられていった。トタン製の看板には何度もボールを当てられた形跡がありありと残っていて、またも放たれたその1球が、新たな傷を刻んだ。
力を抜くように振りかぶったバッドを地に下ろし、山本は小さくつめていた息を吐き出す。
「……特大だな」
呟くようにして言うと、山本は照れたように笑って俺のほうを見た。
2つも年下のクセに目線がほぼいっしょだなんて生意気な、なんて理不尽なことを思いつつ、でもこの方が目を合わせやすくていいかな、なんてゲンキンなことも考えてみたりする。とりあえずこの位置をキープするためには少なくとも今くらいの身長差は保たなければならないわけで、1年次からのコイツの成長っぷりを見る限り毎日牛乳1リットルくらい飲む覚悟でないとそれの実現は困難だと思われた。
「先輩ほどじゃないっすよ」
お世辞なのか謙遜なのか、どっちにしろ誰に言わせても同意する者はいないだろうセリフを吐いて、山本はにこりと笑った。人好きのいい笑みだ。実際彼は万人に人気があって、引く手数多の状態である。かくいう俺も、その大多数の中のひとりなワケで、俺にとっていくら彼の存在が特別でも、彼の中の俺の存在って言うのはほんの小さなものなんだろうなぁとちょっと卑屈になったみたりする。
だけどやっぱり恨むとか妬むとかそういう気が起こってこないあたり、俺は相当コイツに参ってるんだなぁと実感して少し不安になったり、どきどきしたり。
「――せんぱい」
「…ん」
そんなこと考えてたらいきなり顔を覗き込まれて、ひょいと首を傾げられて。考えていたことが考えていたことだったから、不意に高鳴る胸を抑えることが出来るはずもなく、為す術もなく赤く染まっていく頬を隠そうと俺は素っ気なく返事をした。…ああ、違うのに。そんなんじゃなくて、もっと。そんな後悔はもう、俺の専売特許だ。まったく自慢にならない。
「高校、どうですか?やっぱり、厳しい?」
休憩がてら話し込むつもりなのか、ベンチに腰掛けながら山本が尋ねてきた。わかってはいたけれど、やっぱり話題は野球にいくわけで。…そりゃあ、俺と山本は野球を通した繋がりしか持っていないわけであるし、それは当然なのだけれど。特別(…というか、特殊)な感情を持つ俺としては、期待しちゃったりもするわけで。そのたび脆くも崩れ去る幻影を、繋ぎとめるのもバカらしくてただ、見送るばかり。
ふぅとばれないように小さく息をついて、俺も山本の隣に腰を下ろす。ここにいるのは俺と山本の2人だけ。もちろん先に座った山本の隣に俺が腰を下ろすのは当然で必然的なことなのだけれど、そんな小さな事実にまで反応してしまっている自分が悲しい。
…ああ、もう救えない。
「そりゃあ、一応ある程度名門だからな。高校になったら、甲子園もあるし」
「……甲子園」
「そ。まぁ、今はまだ1年だし、球拾いばっかだけどな。来年になったらちゃんとレギュラーとって、甲子園までいくつもりだから」
「ハハッ、頼もしいっすね!」
甲子園、と聞いて山本の目に光が差すのを見た。野球の話をして、楽しそうに笑う顔。
これだけが、唯一。
「わっ」
ふと、ぴりりりっという電子音がして、山本がびくっと飛び上がって携帯を取り出した。電話か?と首を傾げる俺に軽く会釈をして、少しキョリをあけて電話に出る。そのまましばらく話し込んで(時間にすればたった数分、俺の体内時計的には約3時間)、山本は「すいませんでした」と詫びを入れながら帰ってきた。そして当然のように俺の横に腰を下ろして、さっきの話の続きをしようとする。
俺は小さく瞬いて、山本が手にしたバットを受け取った。軽く音のたつほどのスイングを2・3度繰り返してから、ポケットから取り出した硬貨をマシンに入れる。
バッターボックスに立って、機械のピッチャーを見つめながら、俺は山本に話しかけた。
「辛くて、厳しいけど」
ぱぁん!と音を立ててボールが飛び出てくる。いつもよりも速めに設定した球は、俺のスイングを軽々とかいくぐって後ろのネットを揺らした。その球の行方も見守らないまま、俺はまた呟く。
「がんばってるよ、一応」
2つめの白球が、空を切って鋭い音を立てる。今度はバットの上部1・2ミリをかすって、それでもボールは後ろのネットへと逃げた。バットをホームベースにつけて、もう一度ゆっくりとした動きで構えに入る。3球目がくる、その時に、うしろで呟く声が聞こえた。
「だいじょうぶですよ」
後ろを振り返る、その顔の動きと同時に、3つめの白球が俺の正面を通過する。空を裂く音、ネットの軋む音、次いで後輩の、笑顔と。
「俺、先輩がスタンドに運んだボール見送んの、すげー好きなんスもん」
そして、4球目が。バットの芯を捕らえて、理想的な放物線を描いた。そしてそのまま白球は、吸い込まれるようにして古ぼけた「ホームラン」の看板を揺らす。またひとつ、看板の傷が増える。
「お、ホームラン」
そんな風に呟くキミの笑顔は、それはもう、眩しくて眩しくて。自分のことのように誇らしげに笑ってくれる顔に視線を奪われて、100円で繰り出される最後の1球の存在を忘れて、見送った。
そう。その笑顔。
大好きな野球に向けるそれだけは、さっきの電話の相手だって知らないだろう?
だからそれが唯一、俺の特権なわけで。俺のホームランを喜んでくれた笑顔は、まさに俺だけのもの。
そんな風に小さな幸せを拾い集めている俺は、やっぱり相当この後輩に参っているわけで。
知ってか知らずか(できれば知らないものだと思いたいけれど)、そんな風に期待させておきながら肝心なところで予防線を張っているずるい彼もいるのだけれど。
久しぶりに会ったって、実感させられるのは。
(ああ、やっぱり)
(だいすきだ!)
/07.02
野球部先輩第2弾!前回の人とは別人。ちなみに彼は片想い。
片想いとわかってて尚、サッパリしてる人ってすてきだと思う。