02:口付けを落とす
「あ…っ、銀、さ、…っも、」
切れ切れと紡がれる声、酔いゆく思考。自分は何をしているんだと、疑問が浮上しては解決を待たず消えていく。いまはただ、触れあう体温と聞こえる声と生まれる汗と目の前の男だけが、おれの世界でありおれを形成するものだ。
ただ、これだけが。
「…ん、いーよ」
つぶやきと同時に熱の解放はやってきて、きつく重なり合った身体の間に潤滑を助けるべく液体が放たれた。動けば、くちゅりと音を立てる白濁の海。皺の寄った、純白だったはずのシーツの海。
ああ、溺れていく意識を、自覚する。
何してんだ、と再び問いかけるのはもう何度目か。いい加減飽きもするよ、そりゃあね人間は常に新たな変化を求め続ける生き物だもの、自分のものでもない哲学を振り回してみる。ああでもとにかくこの行為の繰り返しに変化なんてものはひとつも生まれない、それだけはたしかな事実だ。これがもし仮にね、男と女の営みだったらいろんな意味で変化なんてーのはいくらでも着いてくんのかもしれない。下手したら子どもだって産まれてしまう、おれたちがしてんのはそういう行為だ。だけど所詮おれたちは男同士。何の心配もなく、変化を恐れることもなく、目の前の快感だけに浸るための行為。これはそれ以上でも、以下でもない。
散乱した服のポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を引っ張り出して、なけなしの金をはたいて買ったのだろう最後の一本に、火をつける。しゅぼっと思ったよりも大きな音がして、一瞬、辺りはオレンジ色の光に照らされた。浮かび上がるのは、シーツにくるまって目を閉じる髭面の男。いい歳して行為の前に電気消せとか言ってくるこの男の眼を、初めて拝んだのはもうしばらく昔の話だ。すでに一種あのサングラスを自分のキャラクターにしているこのオヤジは、滅多なことがない限りその茶色い眼鏡をはずそうとしない。おれだって、見たことあるのはベッドの上でくらいだ。それにしてもこの男はいつだって恥ずかしそうに目をぎゅっと瞑ってしまうから、あまり見せてはもらえないのだけど。
ベッドヘッドに置かれたサングラスを、そっと手に取ってみる。それは思ったよりも脆くて、力を込めれば割れてしまいそうだ。いっそ、割ってしまおうか。目が覚めて、粉々になった茶色い破片を見たとき、彼はどんな反応をするだろうか。考えを中断したのは、加えたままだった煙草の灰が、むき出しになったおれの太ももに落下したからだ。知らずこもっていた力を抜いて、灰を払う。右手に持ったサングラスをかけてみたら、やっぱり世界は黒いままだった。
ん、と隣で男が身じろぐ気配がする。が、まだ目は覚めそうにない。
「……なあ、」
眠っている人間に話しかけるなんて、なんて滑稽な図か。しかもおれはその人間の煙草を加え、その人間のサングラスをかけ、その人間の薄い肌に触れている。
こんな行為は不毛だ。なんて言ったって男同士。相手は一応仮にも妻子持ち。仕事一筋で生きてきて妻も子もなくしたくせに、最後にはその仕事にまで見放されたまるでダメな男。
暗い上にサングラスはどうも視界が悪すぎる、と外したそれをベッドヘッドに戻す。視界が戻ったと思ったら、それはやっぱり闇でしかなかった。月明かりさえ差し込まないこの部屋は、電気を消せばあっと言う間に暗闇に支配されてしまう。暗いベッドの中でしか彼がサングラスを取らない理由。わかっている。
(ねえ、これってもしかして、不倫って言うのかな)
声もない問いかけに返事がこないことはわかってる。だけど、彼が起きているときに尋ねる勇気もおれにはなく。声に出してあげる優しさもおれにはない。
代わりに、早く、と手を差し伸べる。
(はやく、)
いつの間にかフィルターに歯形がついてしまっていた煙草を、不躾にもサングラスのレンズに押し潰して、おれはぐっと状態を寝かせる。至近距離で彼の顔を見つめると、詰まった鼻からひゅーと空気の漏れる音がした。
(はやく、堕ちておいでよ――長谷川さん)
おれが、ちゃんと受け止めてあげるからさ。
呟いて、行為中には絶対に触れない場所に、触れる。それを口付けと呼べるようになる日がいつくるのか、そんなことおれにはわからない。
02:口付けを 落とす
(せめてそれが 意味を為すように、)
/07.07
アダルティーな銀マダ!…に、見えるといいな(希望か
銀→→←マダな身体だけの関係希望。卒業したいのに踏ん切りがつかない大人ぶりっ子なふたり。