14:弾丸越しに触れる
激しい発砲音が響く。ああここはどこだったかと、おれはよく回らない思考をめぐらせた。くらい、くらい、混沌とした世界だ。ここは、おれたちの世界か。今までにないくらい頭働かせて考えてみてもわからなくて、ううんと唸っているうちに近くでどさりと音がした。何かが倒れこんできた音だ。無機質で、だけどやわらかい。あたたかくはない。だけどそれは、ひとのかたちをしていた。
ああほんとうに、ここはどこだ?
鈍い重みを訴えてくる手のひらに目線を落とした。この、くろくてつめたい物質はなんだ。やけに重たい。持ち上げようと思ったけどそれはかなわなくて、重みに負けて片膝をついた。さっきまでそんな感覚はまったくなかったのに、手が震えている。なにかを恐れるように、身体中が戦慄している。
ぱあん。
またひとつなにかの弾ける音、つづいてどさりと無機質な。吐き気がして、おれは片手をくろい物体から離して口元を覆った。だけど出てくるのは薄くなった胃液だけで、そこにはほかのなにもなかった。ごほごほとむせ返る。おれはいったい、なにをしているんだ?
とにかく立ち上がろうと下半身に力を込める、と、ごきりと嫌な音を立てて足がありえない方向に曲がった。これはとても、人間の動きじゃない。だけどおれは人間だったはずだ。じゃあこの足は、いったい誰の。
わけもわからない畏怖に駆られて、左手に乗った拳銃に胃液にまみれた右手を添えた。知らないうちに人肌にあたたまったそれは、唯一おれと同じ色をしている。いうことを聞かない左の足はそのままに、無事な右足を酷使して這うように、くらい物陰をあとにした。
どこに行けばいいのかわからない。どこに行きたいのかわからない。どこに行けばいいんだ?どこに行ったらしあわせになれるんだ?しあわせっていったい何だ?
思考も追いつかないまま這いつくばって、絶えずそこら中に胃液を撒き散らしながら、おれは進んだ。前に?後ろに?そんなのは知らない。前はどこで、後ろはどこだ、おれはどこで、ここはどこだ。次々といろいろな音が、やわらかい脳みそを横断する。銃声、悲鳴、歓声、爆音。ごーん、ごーんと、どこか遠くのほうで狂ったように鐘が鳴っている。ちくたくちくたく、ちく、たく、統一性のないリズムで、時計の針が音を立てた。想像図の中の、世界の終焉だ。終焉、しゅうえんって何だ。せかい、が終わりを迎えたら、そのあとはどうなるんだ。そもそも、せかいってなんだ?この狂った音と、色に支配された空間のことか。もしくはおれのことなのか。
(――に、)
耳の奥で、音がした。銃声も、悲鳴も、歓声も、爆音も、鐘も時計もぜんぶ止んで、それだけが、耳の奥を犯す。身体が震えた。これは、なんのおと?澄んで、澄んだブルーを連想させるこのおとは、いったいなんの(ブルーとは、いったい)?
すうと体重が浮いた。何が軽くなったのかと思えば、それは両手に抱えた拳銃だった。重りがなくなって、身体が浮遊しそうになる。言うことを聞かない両足に必死で力を込めて、おれは地に四肢を踏ん張った。まだそこへは行けない。
(――た、に、)
だって、呼んでいる。
いったい誰が?いったい誰を?
わからない、けれどおれは行けない。行かなくちゃいけない。
前へ進むたびに、身体は浮きそうになる。踏ん張った手足を踏み出すたびに、引っ張られそうになる。だけど耳の奥に、まだ聞こえている。呼ぶ声。なにかを切に、呼ぶ声。おれは行かなくちゃならない。どこだかわからない、そこへ、会いに行かなければならない。
りん、ごん。
何かの音が、鳴った。突然、まっくろだった世界がまっしろく染まった。目を灼く白、耳を劈く音、声。あたたかい手のひら。無機質な拳銃は、もう消えた。
(みず、たに、)
それは、だれ。きみがよんでいるのは、だれ。きみは、だれ。おれは、だれ。
尋ねようと口を動かすのに、声は出なかった。目の前に誰かがいるのか、見えなければ気配さえも感じない。ただ小さく、耳元で声がするだけだ、だれかを呼ぶ声。
心臓が、心臓のそのまた奥が、ちりと痛む。あたたかくなった指先からほそい針の大群が押し寄せてきて、血管を通って心臓に突き刺さっている。ああもう、死んでしまいそうだ。こんなに苦しいことは知らない。遠慮がちに触れているそれは、たしかにひとのゆびだった。
ぽたりと、何かが零れて落ちる。ああこれは空から降っているのか。おれの頬に着地して、すうっと融け入った。見たことのある白さだ。おれはこれを、どこかで。
(泣かないで、よ)
ああそうかこれは涙なのか。いとおしいきみの、瞳からあふれ出る一部。きみを構成する要素のたった一部。ひとひらの。
それを指先で拭ってあげようとして、かなわなかった。おれの両手は地面に踏ん張ったまま縫い付けられていて、顔を上げてもきみの瞳は見えやしない。輪郭も、息遣いも、手のぬくもりさえ、遠ざかった。遠ざけたのは、おれだった。
(み、ず、た、に、)
ああもしかして、それはおれ?きみはおれを、よんでくれているの。そんな風に澄んだ声で、おれを呼んでくれているの。
ありがとう、ありがとう、おかげで心臓のあたりがすごくあたたかくなりました、とにかくおれは寒かったんだ、きみもまだ寒いんでしょう、ぬくもりをわけてあげるから、きみの、なまえを、
名前を、教えて。
何を言っているんだ、ばかみたいだ。おれはもう知っている。もうずっと、知っていた。あとは呼べばいいだけだ。一言、凍りついたのどはもうとけた。
(――ち、さかえ、ぐち、)
そう、それだ、いとおしくてたまらない、あたたかな白を。
呼んだ瞬間に色づく黒、ああしまったやってしまった、まだ行くつもりはなかった。けれどももう手遅れだ、なにもかもが。唐突にせかいは引っ張られて、時間は逆再生、のように流れた。時計の針、鐘の音、爆音歓声悲鳴銃声。
真っ赤な炎が上がっている。燃えている、すべてを赤く染め、漆黒の煙を上げて燃えている。止める術を知らない、持たない、おれ。
ぱあん。
音がした。何かが触れた。それはもう、無機質でぬくもりもなにももってはいなかった。
14:弾丸越しに触れる
(灰色のせかいなど存在しませんでした)
/07.11
病んでるのは水谷っていうより私か
そもそもお題の旨趣を取り違えてる気がしてならない
いろんなところと繋がってる…んだけど、わかるかしら